女の子は全裸よりも、パンツが見えてるくらいが一番エロい【画像】
全裸より半脱ぎ
まんこよりパンツに興奮するってなんかおかしい気がしてきた…
スレ画もそれ以降の画像も脱いでる要素一個もない気がするんだけど
半脱ぎはどこまでが半脱ぎなのか…これもまた難しい問題だ…
欠けた月のようにそれぞれに名前があればいいのだが
桜の開花みたいに五分脱ぎとか六分脱ぎとか
着衣→一分~九分→全裸
スレ画パンツがえらくもっこりして見える
見えないエロスってその先にあるものを想像して(つまり知っていて)興奮するわけじゃん
でも例えばスカートからちらりと覗いたのがパンツじゃなくて恥丘だったら
ノーパンかよ!って怒る人が一定数いると思うんだよ
俺怒る人だわ
そのうち「中身なんていらない」という境地に達する
パンツが見えるっていうのはすなわちその先のまんこが見える
というところまでを含めてのパンツが見えるだと思っていたんだけども
まんこいらねぇパンツが見てぇ!っていう思い
あれこれここまで行くと女体関係なくない?ってなってくる
そうなっているのかな いやなっていないんじゃないかな
だってやっぱりパンツは「穿かれた」姿でこそパンツであって
たとえ誰もはいてないパンツだとしてもその先に女体はやっぱりあるんだよ
その水着の画像もモノだけに見えてもやっぱり女体はその先にある
でも気持ちとしては中身は要らないっていうこともわかる
パンツの先のまんこなんて見たくもないからだ
それは見たことない物…未知の物に対する恐怖感からくるものなのよ
「はいてない!」って結構流行ったと思うんだよ
こつえーとかそんな感じでスカートからギリギリまで尻や腰のラインが見えてて
はいてるかはいてないか微妙なライン それを「はいてない」って喜ぶことがあったというか
そういうときに「いや穿いてろよ!!」ってなることなかったか
パンツが見えて然るべき いや見せてください!みたいな
こつえーさんが描くぱんつが好きだっただけにあれが流行った時は違うそうじゃないってなった
話を戻そう
まんこなんてみたくないってことはパンツの先を否定しているということ
ぱんつさえあればいいんだということは執着の対象がぱんつそのものになっているということ
しかしぱんつを見たときにやはり想像するのは女性に穿かれたその姿であるのではないか
たとえば下着でさえあればいいということであればノンケでもトランクスで抜けるのだろうか
いややっぱりそうじゃない
その先にやはり女性がいないとダメなんじゃないか
(女がトランクスを穿いてるという想像であれば全然抜ける)
しかしやっぱり例えばそのパンツが脱げてかズレてかでまんこが見える
そのときにじっと見るのもやはり引っ張られて形を崩したパンツだろう
視線や意識はパンツに行っているし興奮を覚えるのもパンツだ
体なんかいらない そのはずなのだがでもその体で変化したパンツこそ魅力なのではないか?
モノと体がどうしても切り離せない
多様性を多用せい
だらだらと垂れ流してきたが別に結論があるわけじゃないんだ
ぱんつは素晴らしい
これは疑いようもない
でもその素晴らしさを追えば追うほど物質としてのパンツよりも
より女体に対する執着を深めているだけではないのか?という疑問が出てきたのだ
パンツショーツズロースなんでもいい
モノを見ていたそれで満足していたと思ったらふとその先に生身が出てきてしまったのだ
まんこってグロくない?
広げてる奴とか気持ち悪くて耐えられないんだけど
たくし上げでワンピース着た幼女がスカートの両端持って胸まで見せる時があるけどあれは邪道
スカートの正面一点を持って股間のみを見せるのがいい
女の子が自分の意志で股間を見せているという意味が何よりも大切なのだ
おへそくらいまでは許す
あとブレザータイプの制服はスカートの中のワイシャツが見えるくらいがベストだと思います
写真集の対して興味もないのにつらつらと書かれてる長文みたいなのが付属してる感じがいいね
エロこそ総ての神たるもの
虹でも惨事でも着替えシーンに物凄く興奮する俺は回れ右した方がいいのかな































